2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第2号
洋上風力発電設備であるナセル、タワー、浮体構造物の製造については、造船業で培われた技術を生かすことが可能であり、また、この洋上風力発電設備は部品数も大変多いことから、造船業と同様に、地域経済、雇用を支える効果が大変高いものと考えております。地域で洋上風力発電設備のクラスターを形成することが可能となると考えますが、このことについての御見解をお尋ねいたします。
洋上風力発電設備であるナセル、タワー、浮体構造物の製造については、造船業で培われた技術を生かすことが可能であり、また、この洋上風力発電設備は部品数も大変多いことから、造船業と同様に、地域経済、雇用を支える効果が大変高いものと考えております。地域で洋上風力発電設備のクラスターを形成することが可能となると考えますが、このことについての御見解をお尋ねいたします。
そういった形でより具体的にしていくということになると思いますけれども、日本で風車のメーカーはありませんけれども、その部品のサプライヤーというものはかなりの技術のものがあるということと、かつて風車のメーカーだったところもあるということですから、ナセルのメーカーですね、それはあるということですから、それが連携をしながら国内拠点を形成していく。
組立てなどの工場誘致や設備投資を考える場合に、ナセルは最大級のもので五百トンを超える大変巨大なものでありまして、今後より一層巨大化するということが想定をされます。この大型化に対応できるということがこれから不可欠なポイントというふうになってくると思いますけれども、欧州においては、実際に船の建造を終えた造船所のドックを使いまして製造、組立てが行われております。
○参考人(石田茂資君) 福島の七メガワットについては、これはちょっと特殊事情があるというふうに聞いておりまして、普通の風車というのは頭のところにナセルというのがありまして、これは非常に重いわけですね。三百トン、四百トンになります。
そうなると、タワーをつくる会社もナセルをつくる会社もブレードをつくる会社も、日本には進出してきません。日本の中でそういうものをつくれる企業も、いや、国がターゲットを全然掲げていないからこの国では仕事がないよねとなってしまうわけです。 仮に今から洋上に風車がたくさん建つようになっても、SEP船の商圏は半径五百キロなんですよ。
ナセルと呼ばれる真ん中の軸の部分ですね、この中に精密部品が入っているわけですけれども、重さ三百九十トンとかなり重いです。タワーは九十メートル、四百十トン。 これらを組み立てる、あるいはメンテナンスも含めて、大変な面積が必要だと思いますが、その面積、そして、この重さに耐える地耐力というのはどの程度のものなのか、イメージできるようにお答えください。
なぜ着陸訓練をしているかということを見ると、この写真のオスプレイは、エンジンナセルと言われているエンジン部分を垂直にしています。これは、ヘリコプターのように垂直で離着陸する、つまりヘリパッドを使うときに飛ぶ形状の格好をしているからですね。
ただいまハリッド・ビン・ヒラール・ビン・ナセル・ビン・サイフ・アル・マアワリ・オマーン国諮問議会議長御一行が外交官傍聴席にお見えになっておりますので、諸君とともに心から歓迎申し上げます。 〔起立、拍手〕 ————◇————— 日程第一 在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
本日、ハリッド・ビン・ヒラール・ビン・ナセル・ビン・サイフ・アル・マアワリ・オマーン国諮問議会議長一行が本会議を傍聴されます。 開会宣告の後、議長から紹介がありますので、その際は、議員各位は、御起立の上、拍手をもってお迎えいただきたいと存じます。 —————————————
○政府参考人(深山延暁君) 46との比較におきましては、当方が、防衛省がMV22オスプレイという説明資料をこれは平成二十四年に出しておりますが、この中で私どもは米側環境レビューのデータを引用しておりますけれども、これによりますと、また必要があれば資料等お出しいたしますが、例えば高さ二百五十フィートの場合にCH46は百一デシベル、転換モードの場合、ナセル角八十度で百、六十度で九十七、固定翼モードで九十三
再生可能エネルギーの発電事業というのは、風車のナセル一つ取っても数万点の部品から成り立っている。まさにそういう発電所を建設するための工事やメンテナンスを行うに当たっても、関連の中小企業の仕事の増加や、そこで働く雇用の創出にもつながるというのが私の持論であります。
私が、若いころ、高碕達之助さんの紹介で会うことのできたエジプトの二代目の大統領ナセルも、それから、その後しばらくして会ったインドネシアのスカルノ大統領も同じことを言いました。我々が独立を果たせたのは、第三次世界大戦に勝ったおかげだと。第三次世界大戦というのは何ですかと聞いたら、独立戦争だ、それができたのは日本のおかげだと。
いろんなことをどうやって今回、その操縦士が追い風かどうかということを含めて、じゃ、どのぐらいの追い風、どのぐらいの風速だとそれはナセルをいじってモードを変えてはいけないという部分も全然対策出てきませんから、この辺りもしっかりやらないと全然説得力がないんですよ。 安全を担保するという意味では、これからいかにこの方向で切り込んでいくか、まさにトヨタのカイゼンと同じようにやらないと意味がない。
その概要につきましてもまた、クラスAにおきましては、先般のナセル部分の出火、乗組員の落下というものがありますし、クラスBでは、誘導路の移動中に前足の部分でふぐあいが発生した、あるいは離陸直後のハードランディングといったものが報告されております。
先生の御指摘のオートローテーションについては、そもそもこの飛行機はティルトローター機なので回転翼ではありませんが、二つのエンジンが同時に止まった場合には、ナセルの角度によって固定翼として緊急に着陸する場合と、それからナセルの角度が六十度以上になると、これは回転翼としてオートローテーションの機能を使って、ただそれだけで下に落ちるというのではなくて、前進をしながら降下率を緩和しつつオートローテーションの
旋回の後半、搭乗員はナセル、翼端のエンジン部分でございますが、これを前方に傾けており、追い風及びナセルの動きに伴う重心の前方への移行及び前方に低速度で飛行していたことから、事故機の縦軸方面にモーメントが生じた。要すれば、頭がきゅっと下がるという形だと思います。
○森本国務大臣 モロッコの事故については、今説明申し上げたとおり、米側は事故調査の途中でありまして、我々に知らされている情報は、先生が先ほど御説明になりましたように、訓練中に、乗員をおろして、そしてオスプレーが上昇しようとするときに、百七十度回転をして、機首を上昇というか上に上げ、この飛行機は回転翼のモードとそれから固定翼のモードをコンバージョンする、つまり転換する、ナセルを動かして転換するわけですが
アメリカ側からは、このMV22がオートローテーションの機能を持っているという説明を我々は受けていますが、そもそも、この飛行機がオートローテーションになるときには、回転翼の場合、当然のことながら、直下して落ちるというのではなくて、揚力を得るために適切に回転翼のナセルを使って前に前進をしながら降下率を緩和するというか、緩やかにしながら緊急着陸をするというシステムになっており、そのことはオスプレーのパイロット
これは、一万点以上の、ナセルという増速機を入れた頭脳の本体なんかはほとんど日本で作っているんですね。そうすると、中小企業でしっかりと仕事をする、国民の皆さんの近所の町の鉄工所や、そういったところの仕事が増えていくということに気付いた。
アメリカ側の説明によりますれば、MV22のエンジンナセル部の排気ディフレクターにより排気の方向を制御できるため、火災が発生する可能性は極めて低い、そういう回答をいただいておりますので、そのとおりと承知をいたしておるところでございます。
その象徴が、やっぱり一九六七年の戦争で負けて、アラブ民族主義、社会主義の雄であったナセル大統領がその後心臓病か何かで亡くなったというのは象徴的ですけれども、それでうまくいかない。
したがって、当時そのナショナリズムのいわばヒーローでありましたエジプトのナセル大統領あるいはインドネシアのスカルノ大統領などにとってみますと、イスラムは必ずしも表に出ては好ましくない存在でありました。むしろ、イスラムということよりはアラブ民族あるいはインドネシア人の精神といったものが重要であったわけです。あと、どちらかといえばイスラム運動は政治的に弾圧される傾向にありました。
もちろん、民族主義だけではなくて、例えばエジプトでもナセル、サダトの時代というのはずっと社会主義を一応唱えていた、そういう時代であります。その流れがやはりアフガニスタンにも及んでいたというふうに私は考えております。
その他この他、ナセルとスカルノが、マハティールも、全く同じことを言ったんです。我々は日本の存在にインスパイアされた、同じ有色人種で日本人ができたことが何でできないのかということで、私たちは第三次世界大戦を戦った。第三次世界大戦とは何ですか。
○赤松(正)委員 さっきのお話の中で、いろいろなアジアの指導者の、私もマハティールさんにはお会いしたことがありますが、ナセルやスカルノやマハティールの例を挙げて、ドグマじゃないんだということで、近代国家日本の世界史における意味合いという中で、日本という国家が巨大な軍事産業国家として登場してこなかったら、やはり世界は白人支配という格好になったであろうという意味の、正確を欠くかもしれませんが、そういうことをおっしゃった
きょうは、冒頭に、ナセルとかサダムとか私にとっては大変近しい名前が出てまいりました。私も十九歳のときにあの中東の地に行きまして、大変な驚きでございました、いろいろな面で。やはり国家というものを一人一人が考える、また、考えないことはある意味で日本にとって幸福だったかもしれない、それを考えざるを得ないような状況に置かれている人たちの不幸せというものもつくづく感じたわけでございます。